自己紹介
なまえ 玉井純一
うまれたつき 1945年6月
しゅっせいち 山梨県甲府市(疎開中)
しゅっしんち 東京
生まれてから26歳くらいまで新宿区市ガ谷に居住
高校時代は 天文気象部で部長を務め 悪事をはたらく
天文関係で 何回か新聞・TVに出る
北海道網走まで 皆既日食を観測に行く
部員で天文に興味のある人は数人(3割くらい)だった
傍らで 空飛ぶ円盤に傾注し 高尾山観測を決行
UFOが見れたかどうかは 言わない
福岡まで UFOを見に行く
新聞広告で アマチュア野球チームを募集し
神宮グラウンドで始めるも
集まったメンバーのほうが やる気があり数回で追い出される
たッ たしか 一回落第し 高校3年のとき
「高校4年生ぇー」と 舟木一夫の歌を 涙ながらに歌ってた
大学時代は 放送演劇部 軽音楽部 軟式野球部に入る
野球部では 入部早々 坊主指令が出たため
Rock Bandの 長髪のほうを選択し 野球は断念
放送演劇部では 技術部門(効果音など)を担当する
先輩と意見が合わず 2年になったときに
誰かさんのように構造改革を叫び 部長に立候補したが
大差で破れ 退部する
軽音楽部では Rock部門のリーダーも請け負い
パーティーや音楽祭 ドサ周り(新潟・名古屋等)を中心に
めちゃくちゃな活動に終始する
BEATLESコンテストで優勝し TVにも出る
夏は箱根園(現在の箱根プリンスホテル)で約2ヶ月
Bandの契約をし 更に悪さをする
あまり勉強をしてなかったので いまでも時々
「明日テスト」の夢を見て うなされる
しゅっしんこう 成蹊大学 政治経済学部
当時よく 「京成電鉄の関連学校ですか?」と言われた
しゅうしょく シチズン時計
入社早々 問屋さんの経営分析・債権管理の仕事に就く
学校で余り勉強をしていなかったため入社後の1年間で
大学4年間分以上の勉強を強いられる実際に勉強した
てんきょ 26歳頃 目黒に引っ越す
簿記は「優」の成績であったが 本当に前夜だけの勉強だったため
何も覚えていなかった
仕方なく 浅草の簿記学校に通う(当時会社は上野)
生徒は 八百屋のおっちゃんとか 金物屋のボンボン息子とか
そんな中で 楽しく勉強した
また 習ったことを その日の帰りに
新宿の喫茶店で親友に教えた
彼はタダで 勉強できた
仕事もきつくなり 国内時計業界の再編成や再々編成を一人で担当するようになり
問屋さんの合併・清算・営業譲渡 そして新会社の設立を
日本中駆け回って行う 債権取立て業務も激しくなる
シチズンのみならず 問屋さんや代理店の債権取立てや
役員の個人的な法律問題まで扱いだす
てんきょ 32歳ごろ 横浜市青葉区に引っ越す(当時は緑区)
本社に戻り 法務室に勤務
頭のいい 学者さんのような人が沢山いた
ここでも 契約書を作ったり 事件を担当したり
頭の疲れる仕事バッカ
仕方なく 夜は翌日に影響するぐらい飲んだ
デスクワークは疲れるが
事件の処置はいろんな世界の人間と真剣な話し合いが出来て楽しかった
そうこうしているうちに 秘書課長になり
役員さんの御守や 株式部門・株主総会の担当もすることとなる
当然 内部のことより外部との折衝・接触で見も心も一杯になる
特に外部(渉外)関係の仕事は 失敗をすると何億の出費に繋がりかねない
案件によっては 自分の命さえ・・
ここでも いろんな世界に人と知り合うことが出来た
いわゆる グレーやブラックといわれる世界
政治家・役人・学者の世界
全く 訳のわからない世界
身障者やボランティアの世界 等々
世間からよく思われない人の中には 普通の会社員より
よっぽど好青年と思える人が結構いるのに驚かされる
ほとんどが縁の下の仕事であった
たいしゃ シチズン時計を退社
縁の下の仕事を理解しない会社だったので 数年前に希望退職制度を利用して退職した
いじょう